ものやおもふと

ひとのとふまで

生活保護と芋の皮

最近貧困の話題をよく見かける。
1000円のランチを食べてるなんて贅沢!とか。

そのことで、数年前に母親と交わした会話をふと思い出した。


NHK生活保護の特集をしていて、テレビがついているままに、そのままなんとなく見ていたのだと思う。

生活保護では満足な生活ができない。
仕事をしようにも、この歳と体ではどこも難しい。
そう語りながら、中年の女性が食事の支度をしていた。

それを見ていた母が、
生活保護を受けているのなら、もっと芋の皮を薄く剥こうよ」
と、どこか得意気に言ったのだった。

一瞬何を言っているのか、どういう意味で言っているのか理解できなかった。

生活保護と芋の皮を薄く剥くのに何か関係があるの?」
と尋ねると、
「いやだから、生活保護を受けているのなら、生活が苦しいのなら、芋の皮はもっと薄く剥くべき」
と言って聞かない。


その時は、母は間違ってる、ともやもや思うだけで、その発言の何がおかしいのか上手く言語化できなかった。
母がどういうつもりで、そんなことをぽつりと言ったのかもわからなかった。

今ならわかる。

生活保護を受けている=自治体からお金をもらっている=人様のお金で生活をしている
だからもっとつつしまやかに暮らすべき。
一円たりとも無駄にしてはならない。
食べ物も、食べられるところは余さず食べるべき。

こういう図式が、母の中で(おそらく無意識に)成り立っていたのだろう。


貧困とはこうあるべき、なんてものはないのだと思う。
貧困に限らず、こうあるべき、こうするべき、でないとそれに属しているとは「自分」は認めない。
男なら、女なら、○○県民なら、日本人なら、人間なら。
縛る要素はとても多くて、しばしばそれがとても息苦しくなる。

今は「知ったこっちゃねぇ!あなたに認められなくても構わん!」くらいの気持ちでいるが、あの時は未熟すぎて、どういう意味なのかもわからずに、結局「芋くらい、好きに剥いたらいいと思うよ」とだけ返して、芋の皮の話は終わった。


実家を出た今だから言えるけれど、母と言い合いになったり衝突するのを避けたのだと思う。母は自分の意見を、間違っていると絶対に認めない人だった。

そのために、母の偏見と差別的な考えを受け流してしまった。

今なら何か言い返せるのだろうか。
まだわからない。

以上、ツイッターなどで貧困の話題を見てふと思い出した、芋の皮の話でした。